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部下が誘い、上司が逃げる昨今の「花金飲み会」の実情

相変わらずの世の中の景気情勢で、世のサラリーマンの方々のお財布事情はなかなか好転していないようです。

毎年のようにサラリーマンのお小遣い平均などという調査も行われ、その額はバブル崩壊後は年ごとにワーストを更新するというニュースが続きます。

そんな中、世代を通じて「サラリーマンの交流の場」とも言える仕事後の飲み会も、当然のように減少しています。金曜日が「花金」と謳われた時代が懐かしくなるように、週末の飲み会も減ったのは仕方のないことかもしれません。サラリーマンの飲み会というのは、会社内の世代を超えた人同士が集う、数少ないコミュニケーションの場でもあります。

一般的なイメージとしては上司が誘い、部下が渋々付いていき、酒の席で上司の小言や説教も加わり、部下は嫌々聞いている、というようなものでしょうか(勿論、部下が上司に悩み事を相談できる場でもありますが)。そして、上司は良いところを見せようと会計は全部持つか多目に支払い、部下もそのお陰で説教くらいは聞いてやる、という心持ちでしょう。

古い“飲み会の常識”を引きずっていませんか

かつては「飲みニュケーション」などという言葉があったように、職場の仲間として酒の力を借りてでも腹を割って話すことで、仕事を超えた信頼関係が生まれたり、という効果は特に今でも代わるものではありません。しかし、昨今のサラリーマンの飲み会事情は更に変わっているようで、「部下が誘い、上司が断ることに必死」だというのです。それは一体どんな実情なのでしょうか。

何時の世も、生まれ育った時代背景を元にした世代ごとの名称があります。「団塊世代」を始めとして、「バブル世代」、「団塊ジュニア」、「ゆとり教育世代」など、様々な呼び方が生まれ、半ばその世代をひっくるめて揶揄するような表現も少なくありません。

その中にあった「新人類」と呼ばれた世代以降は、「上司の飲みの誘いを平気で断る」等として、即「常識知らず」と言われたり、飲み会の席でも「乾杯の一杯目から、訳のわからないカクテルをオーダーする」など、それも年長者から「飲み会の常識を知らない」などと非難されていました。

今ではすっかり「年下の社員を無理に酒の席に誘わない」という考え方も定着しましたが、何も若い世代のサラリーマン全てが、上司や年配の人との飲み会を嫌っている訳ではありません。むしろ、最近は年長者とコミュニケーションを積極的に取ろうとする若者も多いのです。

若者はドライだが学ぶ姿勢も持っている

現在の就職難や世界的な不景気は、当然ながら若い世代の責任ではありません。バブルに浮かれた世代と違い、幼少の頃から大人達の厳しい社会環境を目の当たりにしてきた若者は、就職活動だけでも先の世代とは比べ物にならないくらい苦労しています。

その分、社会人になってからも世の中や会社に過度の期待はせず、現実的に自分達の未来を考えています。そこには今の職場、仕事において如何に将来を切り開くか、プライベートの自己を如何に守っていくか、もしかすると年長者より考えている若者も少なくないのです。

若者に答えてやれない“自信のない上司”が増えた現実

そんな彼らが飲み会の席で真剣に仕事や人生の相談をしようとしたときに、40代、50代の年長者が答えられなくなっているのが現実です。

団塊の世代が定年を迎え「空洞化」の影響によって、実績よりも年功序列で押し上げられて中間管理職になった人も少なくない今の40代、50代は、社内では日頃から上司としての成果をなかなか見せる事ができず、役職が付いても限られた収入の中で住宅ローンや子供の学費に頭を悩ませる姿が職場でも垣間見えることで、人生の先輩としても希望を持てる姿を見せてやれず、という感じで、かつて自分達が上司に見せつけられた威厳を後輩に見せる事が出来なくなっているのです。

無理に奢って貰わなくて良い、それよりも気軽に話したい部下

また、そんな上司達は飲み会での部下の分の会計も気になります。年長者が多く支払うという、自分達が受けた恩恵が飲み会の常識として頭に残っている為、尚更飲み会の席を負担に感じるのです。

しかし、特に上司にご馳走して貰おう等とも考えず、気さくに腹を割って話し、もっと自分達の世代を知ってもらおうとする努力をしているのは若い人達の方かもしれません。そして、同世代で飲みに行く“安くて美味しいお店”に抵抗なく上司を誘おうとしています。

会社が費用を持つ飲み会だけで威厳を見せつけるだけでは、益々部下の信頼は得られなくなります。厳しい現実を正直に見せることも、社会人の先輩としての責任でしょう。