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目的と手段を間違えるな!「グローバル人材」に必要不可欠な「語学」

数年前からグローバル化が叫ばれ、現在、入社や昇格の基準にTOEICなど英語試験を設定する企業も増えてきた。

業界や職種によって求められるレベルはまちまちだが、TOEICの点数で言うなら低いところで600点、高くて800点程度だろうか。

さて、日本人はペーパーテストが得意なことで有名なわけだが、ここでもその弊害とでも言うべき問題が発生している。というのも、試験では高得点が取れるのに、実践では全く英語が使えない人が多いのだ。

本屋には試験対策の本がずらりと並び、もはや「傾向と対策」がばっちり練られている。つまり、きちんと「試験勉強」をすれば、高得点を狙うのはそこまで難しい話ではない。しかし、ここでまず考えたいのは、使える英語が必要なのか、英語の試験の点数が必要なのか、ということだ。

グローバル人材になるということ

グローバル人材という言葉を聞いたことがあるだろうか。ここ数年、グローバル人材を求める声や、育成するべきといった声が大きくなってきている。言葉だけが一人歩きし、実際の意味を知らない人も多いだろう。事実、きちんとした公の定義があるわけでもなく、提唱する媒体によっても少しずつ異なる。

ざっくりと言えば、グローバル人材とは、異文化を理解でき、尚且つ異文化とコミュニケーションが取れ、積極的に飛び込んで行けるスペシャリストな人材のことだ。もっと具体的に言うと、英語力があり、コミュニケーション能力があり、異文化を受け入れる柔軟性を持ち、受け身でなく自分から動くことのできる、そして専門性がある人のことだという。

なんにせよ、英語力は一番始めに課せられるハードルのようだ。確かに、ある程度英語ができなければ、商談や渉外どころか、日常の中で感じられる異文化も、その意味も理解できない。苦手な人が多いとはいえ、グローバル人材になる為には必要不可欠のようだ。最初の関門という意味では、入社時点や昇格時点で英語の試験が設定されるのも頷ける。

語学を学習する意味

さて、ここでもう一度語学、さしあたっては英語を学習する意味を考えてみよう。異文化を理解する為、コミュニケーションを取る為だった筈だ。そして、英語のテストが高得点=英語でコミュニケーションが取れる、ではないことは、もはや多くの人が知っていることだ。

にも関わらず、点数だけにこだわる人が多過ぎる。これではいつまで経っても、試験ができるだけの人から先に進まない。確かに、企業が設定するのは点数かもしれない。それは、一番簡単なふるい落としの仕方なのだ。

単に他の企業に追随して試験を設定している会社はともかく、多くのTOEICなど英語のペーパーテストを基準にしている企業は、テストができる=英語ができる、と本気で思っているわけではない。イコールだと考えているのではなく、最低限だと考えているのだ。つまり、ペーパーテストすらできない人にはできない、と考えているわけだ。

就職活動時、大学名で判断というのも、勉強だけ頑張ってきた人が良いというわけではなく、勉強すら頑張ってこなかった人よりは、勉強を頑張ってきた人の方が、今後違う方向に意欲を出してくれるだろうと考えるのだ。

話が逸れてしまったが、結局は点数は点数でしかないことを、企業も知っている。ただ、最低限の点数はクリアしてほしいというだけだ。そして、その点数をクリアすることを目的にはしないで欲しい。目的はあくまで、英語でコミュニケーションを図ること、異文化を理解するために必要なものなのだ。

目的の手段が入れ替わっていないか?

高得点を取ることがゴールになってしまっている人も少なくないのではないだろうか。よく、目標に「TOEIC◯◯点」という人がいるが、点数はあくまで判断の材料であり、通過の為の手段でしかない。

目的のコミュニケーションを取るまでには、会話能力に加え、国や土地によっての雑学や文字通り異文化を知る必要がある。目的は何か、を常に意識しながら学習するべきだ。常に目的を念頭においておけば、それを達成する為にどんなプロセスが必要か、が自ずと見えてくる。