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女性憧れの職業~求婚者殺到~花のアナウンサーの実態とは?

女性に人気の、そして憧れの職業の1つであるアナウンサー。TV局の顔として「花のアナウンサー」と持て囃されている彼女たちの業務の実態は?

部外者には窺い知れない、そして普段馴染みのない女子アナウンサーの実態を知るために、地方のTV局で現役アナウンサーとして活躍していた女性と会う機会を得ることが出来ました。これは私の友人のお嬢さんの、大学時代の同級生に、無理に頼み込んでインタビューしてまとめた実話です。

彼女は東京のG大学の仏文科を出て地元に帰り、地元のTV局にアナウンサーとして採用されました。面接の時に担当者から「君はPeaceful Faceだね。TV移りは抜群だと思いますよ。後日合否を連絡します。」と言われたそうです。

その時彼女は、「君はPeaceful Faceだね。と言われたから多分合格でしょう。」と思ったそうです。そして、見事に30倍と言う倍率を突破してアナウンサーとして採用されました。

初期研修を経た後の最初の仕事は、早朝に放映されている地元の名所旧跡や名店を紹介する番組のアシスタントでした。その当時の勤務体制は、午前3時出社、リハーサルを経て本番組の放映が午前7時、その後反省会を兼ねてのミーティングがあり、帰宅は12時と言った生活が続きました。そんな業務の中でも、週に2回ほどの割合で、取材に同行したりする不規則な生活が続いたそうです。

一応、週休2日(ほとんどが交代で平日に休んだそうです)となっていましたが、新入社員と言う事もあり、先輩達に気を遣い、なかなか思うように休めなかったそうです。特に、GWやお盆、そして年末年始の初詣の取材と撮影には、24時間勤務で臨むような状態だったと言っていました。

そして、2年後には独自の番組を持つようになりました。これは地方のTV局にとっては異例の抜擢のようでした。彼女の業務に対する真摯な姿勢と、その英語と仏語を話す語学力も評価の対象となったのではと言っていました。

この番組は午後の遅い時間に放映されたので、勤務時間は午前9時から放映終了までの9時間勤務(休憩時間1時間を含む)となっていたのですが、スケジュールの狂いなどで、早朝出勤深夜勤務もあったそうです。

彼女が担当したこの番組は3年ほど続き、その期間中は彼女の人生観や知性を表現でき、知性派アナウンサーとしての地歩を築き始めたと感じたそうです。そして、自分ながらに女性アナウンサーとしての将来に希望が持てた時期だと言っていました。

その番組は3年強で終止符が打たれ、その後は関西からゲストとして招いたお笑い芸人とのコントまがいの番組に出演する事になったそうです。自分としては、お笑い番組に出演するためのアナウンサーになったわけではないと思い、随分悩んだそうです。

そして、上司に「私にはこのお笑い番組は不向きなので、他の方に割り当ててください。」と申し入れました。すると上司には、「TV局は視聴率が全てなんだよ。君のような知性派と思われている女性が、敢えてお笑い番組に出演して盛り上げてくれるのを視聴者は待っているんだよ。」と言われたそうです。

社命なので仕方なく出演した所、「全ての受け答えはアシスタント・ディレクターが掲げる「カンペ(業界用語でカンニングペーパーの事)」を読み上げなさい。」との指示でした。そこに書かれている文言には、赤面するようなものもあったそうです。

彼女は、「こんなアホ役をやらされていては自分が駄目になる。」と思い、配置転換を願い出た所拒否されたそうです。結局彼女はこの番組に出演しないために「心身症」の診断書を取得し、休職願いを提出して1ヶ月後に依願退職するに至りました。

インタビューの最後に彼女はこんなことを言っていました。「女子アナ(女性アナウンサー)は所詮使い捨てなんですよ、君はわがTV局における将来の安藤優子、櫻井だよとか言われ、花よ蝶よと煽てられて最後はアホ役をやらされて寿命は5年程度。割に合わない仕事だと思いますよ。」