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思うだけではダメ。あなたを突き動かす「呪文」唱え、チャンスを活せ!

思っているだけではチャンスは通りすぎていく

思っているだけで行動することはなかなかできないもの。行動力のある人は誰もみな自信に溢れているように見える。

不安を抱いたままでは行動に踏み切れない。「やってみたい」と心は叫んでも、行動はためらってしまいいつもチャンスを逃してきた。つまり、「宝くじは買った人にしか当たらない」が事実なのだ。

ではどうすれば行動できるようになるのか、その方法を以下で伝授しよう。思っていても行動に移せない人は概して「慎重な人」が多いようだ。慎重すぎて石橋を叩いても渡らない人なのかもしれない。では行動する人は慎重ではないのだろうか。いやいやそんなことは決してない。

行動できる人とできない人の違いを知ることで、行動できる自分につくりかえよう。行動できればこの先の人生も大きく変わるのだ。行動できるようになればチャンスが向こうから近づいてくるのだ。

機を逃さない行動力がもっとものぞましい

行動種類にも軽率と慎重がある。軽卒な行動は行き当たりばったりの行動が多い。衝動買いなどはこれに含まれるだろう。後悔しても遅いのが軽率な行動だ。一方、慎重な行動とは熟慮された行動と言い換えてもいいだろう。裏付けされた行動だけに失敗は少ない。

しかしあまりに慎重すぎると、機を逃すことがおおいので「時すでに遅し」ともなりかねない。ここまで慎重になると「度が過ぎる慎重」となってしまい、衝動買いと似たか寄ったかの結果となる場合もある。

つまり、誰もがのぞむ行動力とは熟慮したことを機を逃さずに行動できる、ということになるのだろう。そんなに都合の良い行動力が得られるのだろうか。ここでは「機を逃さない行動力」を得る術を自分のものにしようという目論見である。

呪文を唱えれば行動できるようになる

会議で意見を求められたとき、良い意見を持っているのに発言できなかったという人は多いだろう。あとになって「あの時発言しておけばこんなことにはならなかった」と後悔しても時すでに遅しなのだ。

なぜ発言できなかったのだろうか。挙手するチョッピリの勇気が足りなかったのか、それとも「誰かが発言するだろう」と他人任せにした結果だろうか。きっとどちらも該当するのだろう。結果から見れば、あなたは会議にいてもいなくても良かった人間ということになるのだ。知っているのに行動しないのは知らないことに等しいのだ。

では挙手する勇気と自分に責任を持つ勇気を得るにはどうすればいいか。そう、自分自身できっかけを作ればいいだけのことだ。そのきっかけとなるのが「呪文」なのだ。この呪文を唱えるだけで機を逃さずに勇気を表現できるのだ。

その呪文とは自分の脳が筋肉に「動けよ」という指令、合図を出すだけことなのだ。椅子から立ち上がるとき、若い人ならばかけ声も立てずにスッと立ちあがることができるものだ。ところが年齢とともに膝や腰が痛みはじめると、立ち上がるという行為にもかけ声が必要になるのだ。身に覚えのある人もいるだろう。そのかけ声がじつは「呪文」なのだ。

呪文はあなたの心を動かす言葉にしなさい

「よっこらしょ」とか、「さて、はじめるか」等々、知らずのうちに発している言葉は行動するための呪文なのだ。行動から逃避したり、後悔した人も呪文を唱えることで行動できるようになるのだ。

呪文は人それぞれ違っていい。自分を奮い立たせるものでもいいし、もっと気楽な「よっこらしょ」でもいい。その呪文を唱えたら脳細胞が筋肉細胞に「動け」と指令を出すのだ。筋肉が動いたとき、会議での発言もできるのだ。その時点であなたは「会議に必要不可欠な人」になるのだ。

呪文は人それぞれだが、自分の心を動かす簡単なのがいい

呪文は千差万別だろう。たとえば以下のような呪文はいかがだろうか。

「チャンスをありがとう」

「逃げないぞ」

「やるっきゃないでしょ」

「自分の責任は自分が持つ。がんばってこい」

要するに、自分の心に響く呪文がいい。あまり難しい呪文にすると、いざというときに呪文そのものが思いつかない、なんて事態になってしまう。普段から心の内で呪文を唱えつづけることだ。あなたの呪文は幸運を引き寄せると心に刻み込むことが重要だ。

ところで「呪文」て呪いの言葉なのかな

文字では呪いの経文のように思えるが、「悪霊退散」や「災厄祓」などに呪文を唱えるので、呪文は薬のようなものと考えればいいだろう。自身のなかに幸運を呼び込む呪文、これがもっとも適切な表現になるのではないか。

行動できなかったあなたが、呪文によって幸運を持って生まれかわれるならば、これこそ最大の人生転機になることだろう。すべてはあなた自身の内にあることだ。世界もあなたの内にあることを知ってほしい。では幸運の呪文を得られますように。