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楽しく仕事をするためには?ゲームデザイナーのイアン・ボーゴスト氏が講演

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ジョージア工科大学で講師を務める傍ら、多数のコンピューターゲームを開発し、また著書も多く執筆しているイアン・ボーゴスト氏(※注1)が、「楽しい」をテーマに講演を行いました。

(参考動画)

「楽しい」をデザインする

今、人々が求めているのは「楽しい」ということ。何をするにも楽しくなければいけない、仕事や勉強、家事を「楽しく」するためにやっきになっている感すらあります。

ゲームはその「楽しい」というあいまいなコンセプトを具体化する唯一のメディアであると言っていいでしょう。そのため、ゲームは時として「黒魔術」のような扱いを受けてしまいます。

ゲームに夢中になる子供たちを見て、大人たちは困惑します。学校の先生は、「なぜ生徒たちは一日中マインクラフト(※注2)をやってるのだろう?」

親たちは「うちの子はゲームならクリアできるのに、なんで宿題は終わらせられないのかしら?」と不思議に思うことでしょう。

ゲームは「楽しい」からやめられないのでしょうか?では、それほどまでに人を夢中にさせる「楽しさ」とは一体何なのでしょう?なにかを「楽しく」するには、どうすればよいのでしょうか?

そうたとえば、「楽しい」トースターをデザインするには?「楽しい」レストランメニューを作るには?コンファレンスを「楽しく」するには一体どうすればよいのでしょうか?

メリーポピンズは間違い?

「楽しい」ということは「ラク」することと勘違いされがちです。仕事をゲーム感覚でやれば楽しい、と言われるのもこのためでしょう。

メリーポピンズ(※注3)は映画の中で、「苦い薬を飲むには、一さじのお砂糖があればいいのよ」と言いました。では、「楽しい」こととは、ここでいう「一さじの砂糖」のことなのでしょうか?

映画のように、小鳥が歌うのは巣作りの大変さを隠すため?歌を歌って掃除の退屈さをごまかすことが「楽しい」のでしょうか?

ボード「どんな仕事にも楽しいことは隠れているの、それを見つけたらほら!仕事はゲームに早変わり」(映画メリーポピンズから引用)

なるほど、すてきな考えですよね?では、試しにやってみてください。そうそう上手くいくわけないんだから(会場笑い)。

残念ながら、彼女の哲学は真理ではありません。もし彼女の言うように、どんな仕事にも「楽しさ」が隠れているとしたらどうやってそれを見つければよいのでしょう?彼女のように指をパチン!と鳴らしてみる?

それともメリーポピンズみたいな家庭教師を雇う?一さじのお砂糖は、結局ごまかしでしかないのです。「楽しい」と思いこむことで楽しいような気になるだけなのです。メリーポピンズはガマの油売りだったというわけですね(会場笑い)。

「楽しい」ことと「遊ぶ」こと

ゲームが「楽しい」のは、「遊ぶ」ことにあります。「遊ぶ」とは、限りある能力を駆使し、なんとか条件をクリアしようと努力すること、と言えます。マインクラフトやキャンディクラッシュ(※注4)も、限られた条件の中でパズルを解いていくところに楽しさがあるのです。

「遊び」はゲームに限ったことではありません。「遊び」は私たちが操作できるものすべての中に存在します。たとえば車のステアリングにも「遊び」がありますね。「遊び」とは、楽器やスポーツを「プレイ(遊ぶ)する」と表現するように、「ある物事を自分の意のままに操ることができるようにする」ということなのです。

ゴルフを例にします。「ゴルフというのは気持ちのいい散歩にいちいち邪魔が入るようなもの」(マーク・トゥエインのセリフ)と表現されることがあります。

もちろんこれは冗談なのですが、まったくもって事実ではありません。パズルやゴルフなど、実際はちっとも楽ではないのです。むしろ、ばかばかしいほどに無意味な努力を強いられます。それを、人は「楽しい」と思うのです。

「遊ぶ」という言葉には、「ばかげている」という意味合いが含まれています。そして、「楽しい」という言葉の語源は実はこの「ばかげている」にあります。

中世の道化はばかげた事をしたり、言ったりするのが仕事でした。道化師は、人と違ったものの見方をする必要がありました。そして、人々の予想外の行動をすることで笑いを生み出すのです。

「楽しい」と思えるには、その一見ばかばかしいと思われることにコミットする必要があります。最新の注意を払い、努力する必要があるのです。「楽しい」という言葉から連想されるような、「ラク」であることはまったくないのです。

「楽しい」ことはごまかさないこと

「楽しい」ことはただの感情ではありません。人生をラクに生きることが「楽しい」わけではないのです。「楽しい」とは、「自分がよく知る物事を、いかにして操ることができるか試行錯誤すること」にあるのです。私たちはその事実を受け入れて初めて、人生を「楽しい」と思うことができるのです。

ゴルフにしてもそうですが、「楽しい」と思うことは「ラク」でも簡単でもありません。そう、たとえば、マニュアル車の運転や編み物です。簡単に済ませられることをあえて難しくしていますが、人はそれが楽しいからやるのです。

むき出しの素材と対峙することに「楽しさ」があるのです。「楽しい」ことには、事実をあるがままに受け入れる、ということに対するある種の「恐怖」すら含まれていると言えます。

「楽しい」こととは、現実をあるがままに直視することから始まります。辛い現実をごまかすことではありません。

メリーポピンズの哲学では、「現実は辛く、それ自体はどうしようもないのだ」、と決めつけてしまっていますね。だから、砂糖が必要なのだ、と。それでは嘘や偽りでしかありません。

よく考えてみましょう。「楽しい仕事」とは、ゲーム感覚で働く仕事ではないのです。一見辛く思える仕事も、仕事として深く理解して初めて、そこに「楽しさ」が生まれるのです。

「楽しい」ことで「現実」をごまかすのはブロッコリーにチョコレートをかけて、「デザート」と呼ぶ程度のものです。ですが、「楽しい」をデザインし、その効果を利用することはできます。

そして時として、報酬を得ることもできるのです。たとえば、2010年ウィンブルドンテニスマッチでの、ジョン・イスナーとニコラス・マハット戦です。

試合は双方譲らず3日も続きました。彼らは、そこにある種の「楽しさ」を見つけていたはずです。ほっておいたら永遠に試合を続けていたかもしれません(会場笑い)。

他の人にはわからない、真理を求め続けた者だけが得られる「楽しさ」。これこそが真の「楽しさ」であるといえるでしょう。

ですが、あなたが真の「楽しさ」を経験するためには、プロのテニスプレーヤーである必要はありません。たとえば、毎朝入れるコーヒーにこだわってみるのはどうでしょう。

豆からひいて、温度を調整し、酸味と苦みの違いを味わってみます。来週には、違うブレンド、違うコーヒーミルも試してみる。

火曜日にはいつものように同僚と出かけ、同じバーで同じものを注文し、同じようなグチを言ったとしても、ちょっと注意してみればそこにはいつも新しい発見があるはずなんです。

日曜日には芝刈りをするとします。マニュアル操作の芝刈り機を使うのもいいでしょう。ブレードの具合など微調整しながら、完全なバランスを見出す楽しさがそこにはあるのです。

「楽しい」の本質とは?

「楽しさ」には、「遊び」の部分があるため十分な注意とケアが必要とされます。特に、一見バカバカしく退屈と思われることにその「遊び」と「楽しさ」があると言えるかもしれません。

あなたが「楽しい」と思っているということは、あなたがそのものごとに対して過大なる敬意を払っているということが言えます。

物事が「楽しくない」と思うのは、真面目に取り組み過ぎたからではありません。その物事に対する敬意が足りなかったからなのです。

マインクラフトが楽しいと思えるのは、マインクラフトが他の何物でもなく、マインクラフトそのものであるからなのです。

勉強や仕事を「ゲーム」としてごまかすのではなく、勉強や仕事そのものとしてより深く理解し、探究することに「楽しさ」はあると言っていいでしょう。

つまり、消費者が求めている「楽しい」デザインとは、デザインするものの本質を追究することにあります。

それは決して楽なことではありません。そのものや事柄に対し、十分すぎるほどの敬意を払うことにあると私は思います。

試行錯誤を繰り返し、そのものの本質を追い求めることで、いつかその「楽しさ」が生まれるのではないでしょうか。

注釈 注1:イアン・ボーゴスト ゲームデザイナー、作家。多数の著書、アプリゲーム開発に携わる 注2:マインクラフト ブロックを組み立てたり壊したりしながら自由にものを作っていくゲーム 注3:1964年に公開されたディズニーのミュージカル映画 注4:キャンディクラッシュ 同じ色のキャンディを3つ並べていくパズルゲーム