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嫌な異動人生を泳ぎ切る!公務員の使命を教えます!

異動人生を泳ぎ切る!公務員の使命とは

「公務員」という資格取得の道があるという誤解をたまに耳にしますが、そのような資格は存在しません。公務員といわれる様々な職種があって、それぞれの採用試験があるだけです。

とかく公務員というと官公庁や役所の職員というイメージがあるかも知れません。もちろんそれが間違いではありませんが、それは公務員の中での一般行政職という一領域にすぎず、実際は大変多様な職種です。

たとえば警察官、消防士、公立学校の先生、公立病院の医師、図書館の司書や博物館の学芸員など、自治体によって運営形態はいろいろありますが、一般にそれらも公務員に属します。

私の体験は、広い公務員の中の一例にすぎません。しかしいろいろな意味で公務員の現状や今後の傾向を考える上で参考になるだろうと思います。

学生時代にとれる資格はとっておく

大学を卒業して、私は中学校教諭の採用試験を受けました。教員養成課程の大学ではないので、専攻とは別に教諭免許取得の単位をとって卒業しなければなりませんが、教員の資格はほとんどの学生が取得していました。

私の卒業時は教員の採用試験は今よりもずっと広き門だったため、就職がだめなら教員に、という平和な時代だったのです。今となっては信じがたいことです。

晴れて、春から私は中学の先生に採用されました。社会人として振舞うこと自体が不慣れだった当事は、とにもかくにも学生の甘さを体から洗い流すことに精一杯で、教師としての職責も自覚もあったものではありませんでしたが、毎日が充実していました。

転機が訪れたのは6年目のことでした。同じ地域に郷土資料館がつくられることになり、その教育普及担当の学芸員として割愛人事の話を聞かされたのです。

割愛人事とは、教職員が学校以外の場に異動することです。資料館も組織上は教育委員会の所管なので、教職員の中で学芸員資格をもっている者ということで、私に校長から話があったのです。

もともと学校の先生より、博物館学芸員になることが夢だったので、私はこの話に惹かれました。最初は悩みましたが、ただ、3年の担任で始めて卒業生を出すというタイミングだったこと、また、いずれ学校にもどってくることになるだろうということで、ひとつのスキルアップだと考え、この異動の話を受けることにしたのです。就職に関係ないと思っていても、とれる資格は学生時代にとっておいて正解だったと思いました。

初心は転機のよりどころ

新しい資料館の立ち上げの仕事は想像以上に大変でした。私ひとりではなく他に2人のベテランと2人の同世代の学芸員がいて、毎日深夜に帰宅する日々でした。

子どもを相手にしていた日々から、突如、書類と法制と建築と文化財保護の書類の山に囲まれる毎日に変わり、教育普及が主務だった私はもっぱら開館した後のコンテンツづくりと制度設計に追われ、開館まであっというまに時間が過ぎました。

次の転機が訪れたのは、無事資料館が開館にこぎつけた3年後でした。資料館が教育委員会の所管を離れて、市役所の文化振興課に移ることになったのです。私は割愛人事なので、いずれまた学校の現場に戻るときがくるだろうとは思っていましたが、学校すなわち教育委員会に戻るか、それとも割愛退職で市長部局に身分を残すか、選択を迫られたのでした。

このまま開館させた資料館に残るなら、もう教壇には立たないと覚悟を決めなければならない。かといって、せっかく開館させた資料館の仕事を放り投げたくはない。

私以外の一般職から採用されたり異動してきた学芸員たちには大きな立場の問題ではありませんでしたが、私は将来の自分の仕事を決める場面で悩んでしまいました。

最終的には、資料館に残る道を選択しました。決め手は初心に帰ったことでした。博物館学芸員の仕事をしたいというのは一番の夢だったわけで、そのチャンスというのはめったにないからです。また、博物館教育という専門の仕事を通して教育には携わっていけるからです。

日本の博物館法では、いわゆる博物館は通常は教育委員会に属することを前提に博物館法上の登録を受けるのですが、当時は全国的に組織改編が流行していて、市長部局に移る館が多かったのです。

登録博物館からはずれても、首長の政策がダイレクトに反映され、予算確保も容易になるというメリットが説得力をもっていた時代でした。

いくつかの有用な資格をもっていると、それを生かす思わぬ場面に出会う可能性は高まりますが、個人の理想とは無関係に、組織は動きます。予想だにしないような立場の変化が起きることもあります。

そうした転機に際してどう考え、判断するか。そんな悩みの場面では常に初心がよりどころになるはずですから、学生時代に思い描く夢は大切です。

公的な理想追求の姿勢

しかし、「資料館に残る」という私の選択が、別の結果をもたらすことになるとは、当時は思いませんでした。開館の翌年、この資料館の管理運営を民間組織に委託する方針になったのです。

いわゆる指定管理制度の導入でした。これに伴って、市職員である学芸員5人のうち2人の人事を市に引き揚げて、その補充は管理団体が独自採用することになったのです。そして、その市職員の引き揚げは今後も継続し、最終的には管理団体採用の職員だけにする方向性が伝えられたのです。

私はその引き揚げ職員の1人となり、現在は市の郷土歴史課に勤務する職員になっています。思い起こせば、学校の先生から資料館に異動したのが本当によかったのか、教育委員会の身分を捨てたのが正しかったのか、ふと考える瞬間は今でもあります。

それでも、後悔という気持ちはありません。学校の先生だった時も、資料館の立ち上げに躍起になっていた時も、それぞれに充実して仕事に打ち込めたのは、お金や名声のためではなく、公(おおやけ)の幸福につながる仕事であることを実感できたからだったと思います。

今の仕事場も、事務職というよりも地域の発掘資料や歴史資料を学校で活用する仕組みづくりに携わっているので、決して経験が無駄になっているわけではありません。

公務員であっても、社会の変化の波を受けます。組織が大きく動き、職員の立場や生活が変わることもあります。「公務員」とは、そうした激動に遭遇してもなお、公的な理想追求の姿勢と責任感を手放さないという覚悟の必要な職務だと思います。