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減っていませんか?同僚と本気で議論を交わす時間を持とう!

気がついたら意見を言わなくなっていた

会社では会議などの席で意見を求められることが少なくありません。仕事の進め方について、お客様への対応について、業務オペレーションについて、等々。

私は割と気が強くて、遠慮をしない性格で、曲がったことが嫌いなので、若い頃はよく上司や同僚とぶつかっていました。意見を否定されれば、「なんでですか!?」と食い下がり、「こうすべきだと思います!」と納得するまで自説を曲げなかったり。

ところが30代も半ばになると、どうやら自分が正しいと思うことと会社で正しいとれていることが、違っている場合が往々にしてあることに気づいてきます。これはもう、否応なく。夫婦でも考え方の違う男女が一緒に暮らすのですから、喧嘩になってもお互いにどちらかが矛を収めるもの。会社ではやっぱり多少の上意下達があって、納得がいこうがいくまいが、上の言うことに逆らうなんて損だしエネルギーの無駄だわ。なんて思うようになっていったのです。

そして大手企業で働いていた最後の数カ月は、ただ意見を言わないだけではなくて「私は自分の頭で考えることを止めました」とまで公言するように。なぜならば、私個人の感覚と、会社で正しいとされていることの根拠が、もう完全にかけ離れてしまっていたからです。それはそれで、キツい日々でしたが、今振り返ってみると、会社で「意見を言わない人」って増えているんだろうな。と思ったりするのです。

議論と喧嘩は違う

仕事において同僚と意見の食い違いが起きたとき、お客様にそれを見せるべきではない、というのが一般的には正しいことだと思います。しかし、場合によっては、「社内で意見の食い違いが起きている」ことも含めてお客様へつまびらかにする必要のあるケースというのも、あるのではないでしょうか。

まぁ、レアケースではありますが、ちょうど今回はそんなケースでした。しかし、そもそものこの「社内で意見統一が図れていない状況をお客様に見せるか否か」について、まず前段の大論争が巻き起こりました。そりゃあそうですよね。一般的には正しいが、今回は特別だ、と言われたらなぜそうなのか、説明しなければなりません。

私の中では、議論と喧嘩、全くの別物です。でもこれを混同している人って多いんです。議論は事実に立脚してなされるものです。感情は極力排除すべき。喧嘩はもちろん、感情のなせる業。だから、議論になったからといって、当然相手のことを嫌いになったりしません。

久しぶりの本気の議論は爽快だった

内容に踏み込むわけにはいかないので、とても表現が難しいのですが、今回、同僚と真っ向から意見が対立し、大激論を交わしました。

議論を交わすのに大切なことがもう一点。それは、相手と自分の言葉が噛み合っているかどうかということ。言葉は悪いですが自分より頭の悪い人と議論せざるを得ない時には、自分がそこまで下がっていかなくてはなりません。

そして、自分の感情は極力排除しながら、相手の感情の動きに目を凝らします。相手も自分と同じ程度に冷静で客観的であるとき、どんなに意見が食い違っていても、しこりは残りませんが、相手が感情的になっている場合には、感情のしこりを残さないように配慮しなければなりません。

それにしても、自分の意見を真っ向から堂々と述べられるって、なんて気持ちがいいんでしょう。この爽快感、すっかり忘れていました。勝ち負けではなく、答えを導き出す建設的な議論、できる環境で仕事をさせてもらえるって、とっても幸福なことです。