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「どうせ」と最初から言い訳して愚痴になってない?「発言」の意義

発言をすること、を日本ではあまり教えられない。小学校でも中学校でも、発言するということの意味はあまり重要視されない。

また、手を挙げて発言することが苦手な人も少なくない。そして、社会人になってからも、自ら進んで発言することを苦手とする人が多く存在する。

質問されていて、正答を知っているならともかく、自分の考えなんてものを尋ねられた日には、目を合わせない人も。特に議論の場などでは、「どうせ」自分の意見は通らない、受け入れられない、と決めつけて発言を初めから放棄することも多々ある。では、発言とは一体なんなのか?発言をすることによって、何か変わるのだろうか?

発言とは?

発言とは、言葉を発するという文字通り、口頭で自分の意見を述べることだ。自分の意見を、人に伝える手段の最も原始的な方法の1つである。発言するということは、相手に、自分が何を考え、どう思い、どうしたいのか、などを伝えるということだ。発言することによって、事態が変わるというよりは、自分の思っている事が相手に伝わることによって、自分の印象や立ち位置を表明することができる。

発言の場で何も意見を口にせず、後から愚痴をこぼす人に限って、「本当はこう思ってたのに」「でもどうせ〜」と後悔などを口にする。その場で発言していれば、妥協や譲歩などがあったかもしれないのに、その場で発言することは選択肢に無い人も。自分の意見を述べるのが「発言」の筈だが、言いづらいことなのだろうか。

言っても何も変わらない、の嘘

何を言っても変わらないこと、というのは確かに存在する。しかし、大体の場合、自分の意見を述べるというのは、自分の主張を通す為ではない。いや、通す為ももちろんあるが、その前に、自分の意見を知ってもらう為、という前段階が入る。例え、発信した意見・主張が通らなかったとしても、自分がこんな意見や立場なんだ、ということを周囲に伝えることで、周囲からの見方や接し方も変わってくる。

意図しなかった反論や意見が向けられるかもしれないし、あるいは同じ意見や立場の人から賛同やアプローチがあるかもしれない。敵を作ってしまうことも時にはあるかもしれないが、味方を発見できる事の方が多い。発言することによって、意見が通るか通らないかだけではなく、何かしら変わることは多くあるのだ。

言い方の大事さ

さて、意外と大事なのが、言い方だ。同じ内容の意見を言うにしても、喧嘩腰だったり攻撃的な態度で伝えては、通るものも通らなくなる。では、どんな言い方だったら良いのか?

その場の雰囲気にもよるが、基本的に必要なのは、①相手に分かりやすく説明すること、②感情的にならないこと、③一般論ではなく、自分個人の意見である、という立場を明確にすること、だ。

①の分かりやすく説明する、というのは当たり前だが大切なことだ。専門的な話ならば尚更、専門外の人にも分かるよう、分かりやすく説明しなければならない。人は、よく分からない事に対して、寛容になれない。相手が理解し、納得させることが必要になる。

②について、感情的になってしまうと、建設的な議論ができなくなってしまう、ということ。例えば、「それは間違ってる」と言って、自分が否定されたと思い、意固地になってしまったりするパターンはよくある。一方が感情的になってしまった場合は、落ち着いてから再度話し合うか、一度切り上げた方が良いだろう。

③について、意外と忘れがちだが、「自分はこう思う」と伝えること。相手の言っていることを否定しているのではなく、みんながこう思っている、と伝えるのではなく、「自分は」こんな意見だ、と伝えること。これによって、相手も否定されたと思わずに受け入れることができる。

結局は理解してもらうこと

つまり、発言は相手に理解してもらうことが必要だ。双方のコミュニケーションはもちろん重要だし、一方的に主張をするだけでは相手が嫌な思いをするだけで、次の機会にも繋がらないだろう。

双方にとって良いコミュニケーションをとるには、相互理解が少なからず必要だし、その為にはまず意見を述べることが必要だ。一方的に主張するだけでも、全面的に相手の良い分を聞くだけでもいけない。発言は、仕事に限らず、人と関わる上で必要なコミュニケーションの第一歩なのである。