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地域独自の特産品をプロデュースして販路を確保する方法

地域の特産品をプロデュースして有名になった会社に、徳島県の上勝町で活躍する「株式会社いろどり」があります。売っている商品は、料理屋で使われる「つまもの」。ようするに、上勝町に勝手に生えている植物の葉っぱなどです。

売上高は、2億5000万円。70歳代のおばあちゃんたちが出荷管理、売上管理、情報交換などをして運営している会社です。地方都市の過疎地域に住んでいれば、同じようなビジネスプランを設計することが可能です。

広島県尾道市のしまなみ海道沿いにある因島では、同じようなビジネスプランがあります。ただし、個人レベルで会社組織にはしていません。過疎化が進み、空家ばかりが点在する因島鏡浦町には、特産品のひじきを独自のルートで得るビジネスプランがありました。過去形なのは、個人でひじきの販売をしていた方が亡くなったからです。しかし、個人の売上として、年間2000万円は特筆ものです。どのような商売だったのか、ここに紹介してみましょう。

その方は、旦那さんに船を出してもらって、ひじきを収穫していました。収穫方法は、根元から刈り取るのではなく、茎の部分を40~50cm残して刈り取るようにします。こうすることで、ひじきが再生することによって収穫時期を引き伸ばし、収量を増加させることが可能になるそうです。収穫したひじきは、昔に使っていた五右衛門風呂をひろってきたものを釜として流用し、煮沸します。取り出したひじきは、その時点で葉の部分と茎の部分に分離します。

京阪地域の料亭で使われるひじきは、一般的な葉の部分ではなく、茎の部分を使うそうです。葉の部分は、畑の堆肥として乾燥させて使い、茎の部分は乾燥させて出荷用に使います。この方が販売ルートを確保したのは、京都へ遊びに行ったとき、高級料理屋で出されたつき出しを見たことがきっかけになったそうです。

好奇心旺盛なこの方は、その料理屋から出るとき、料理長に会わせてもらって、ひじきの茎が貴重なことを知ったそうです。因島鏡浦町のひじきは、その料理屋を通して、京阪神ではブランド品になっていきました。収量が限られていることもあり、プレミアもついて売上高は年々増えていっそうです。

元手といえば、旦那さんの船の燃料費と管理費だけです。ひじきを作るための燃料は、休耕地の柑橘畑にいくらでも転がっています。ひじきの茹で加減は、さすがに教えてもらえませんでしたが、したたかに特産品を作って販売している頃の活気に満ちた風景は今でも印象に残っています。

地域の特産品は、どこに眠っているのか地元の人には分かりにくいものです。この方のように、たまたま遊びに行って茎のひじきを知ったというケースは、株式会社いろどりでも実証済みです。外からの視点を持って、もう一度地域を見回してみたとき、ビジネスチャンスが生まれてきます。

ひじきを商品開発された方の場合、残念なことに地域共同体としてのビジネスにはなりませんでした。もう一度再開するためには、商品開発、修了確保、販路の整備など課題が山積していることでしょう。しかし、可能性は残ります。

都市部では、田舎暮らしに憧れる人が増えています。過疎地域の現実を見るとき、その憧れは絵空事のようにしか見えません。なぜなら、地域に定着するための土壌そのものが崩壊しているケースが多いからです。

空家を探して住むにしても、下水道が完備された地域は少なく、あるとしても浄化槽くらいしか期待できません。買い物にしても、近くにコンビニやスーパーがあるとは限りません。便利さに慣れた都市部に住む人たちに、そのような暮らし向きが可能なのかと、つい考えてしまいます。

自給率40%の国、日本に生きる限り、これからの時代はサバイバルに目を向けるべきでしょう。田舎暮らしは、誰にでも受け入れられる生活ではありません。しかし、外からの視線と観察力、そして粘り強さがあれば、誰にでもビジネスチャンスが生まれる場所です。自然の中で生きることは、心地よいことです。人も自然の営みの中で暮らしています。無から価値を生み出す原動力は、もともと人に備わった能力を目覚めさせるところにあります。

まずは、現地を視察してみましょう。そして、田舎の現状を知って、逆転の発想を試みましょう。目を向けるところは、いくらでもあります。田舎暮らしのコツは、地域の人の輪に飛び込むことです。一人勝ちしても、地域は豊かにならないことを知ることも大切です。因島鏡浦の事例からは、そんなことを学びました。