頑張ることをバカにしている学生は採用担当の目に魅力的には映らない
――学生時代に頑張ったことはどんなことですか?
面接における定番の質問ですね。
勉強にしろ部活動にしろ、何かしら熱中したものがある学生にとっては、さほど難しい質問ではありません。
中には熱く語るあまり自己陶酔のような内容になってしまい、面接官を苦笑させることもありますが…。
しかし、懸命に努力した人間の話というものは、話術の上手下手に関わらずある種の説得力があるのもまた事実。
若さゆえのつたなさが魅力と捉えられることもあるわけですから、失敗談もまた頑張ったことの一つとして胸を張って語ることができるわけです。
頑張ることを見下す学生は興味を持ってもらえない
その反面、どんなに流暢な言葉で繕ったところで、面接官の心にまるで響かない体験談を話す学生がいます。
それはどんなタイプの学生だと思いますか?
―― 一生懸命取り組んだことが何ひとつない学生でしょうか?
いいえ、違います。
必死になって何かに取り組むことを見下してきた学生です。
あんなに頑張っちゃってバカじゃないの?
がんばったところで何か特になることがあるわけでもあるまいし……。
そのような考え方で必死になることをバカにしてきた人は、どんなに取り繕ったところで人間としての魅力に厚みがでません。
精一杯やったけれど結果が伴わず、失敗したり挫折することはままあることなのです。
そして悔しさで目の前が真っ暗になったり、人知れず涙を流しているのかもしれません。
しかし、それらの経験は確実に人間としての深みを与えてくれる大事な要素でもあります。
経験した者だけが得られる幅に加え、人格に味がでてくるわけですね。
そんなに頑張ったところで何かいいことでもあるわけ?
こんな風に平気で誰かを軽んじてきたタイプは、実は単に様々な勝負から逃げているだけのことです。
失敗したらカッコ悪いから。
損をするかもしれないから…。
そういう浅慮から抜け出せないまま自己完結することで、いったいどんなプライドを守ろうとしているのかは不明ですが…。
上っ面だけの言葉は面接感の耳を流れて消えるだけ
さて、今までに頑張ることを見下してきた学生。
「がんばったことは何ですか?」と問われる面接においてどんな話をするのでしょうか?
適当にそれなりの話題を用意して、自分は頑張ったのだと力説してみますか?
それとも誰かの経験をさも自分のことのように脚色して話してみますか?
まさかとは思いますが、まったくの作り話で面接を乗り切るつもりですか?
いずれにしても、底の浅いストーリーになることだけは間違いありません。
なぜなら、本当に自分自身の情動が働いていないことを話しているせいでストーリーが単なる『あらすじ』になってしまうからです。
聞き手がそのストーリーのどこに一番関心をもつのか。
それは、その体験の瞬間に感じた生々しい心の動きそのものなのでしょう。
失敗したら辛くて悲しいに決まっている――。
頑張ることを見下してきた人は短絡的にそう考えてしまいがちです。
ところが実際はそんな単純なものではありません。
また、聞き手もクライマックスの部分より、ほんのささいなポイントに心惹かれることだってあるでしょう。
そのささいな部分は本当に経験した者でなければ、絶対にわかりません。
そして、そこにこそ人を引き込む話しの「肝」があるわけですね。
頑張ることを内心では軽んじていながら、言葉では頑張った体験について流暢に語ったところで、人の心には残りません。
当然のことながら、面接担当者の印象に深く残ることも期待できないでしょう。
企業にとって、若いうちからあざとくて、上手く立ち回ろうとする感覚の人間は魅力的には映りません。
適当にうまいことを言っていれば就職活動なんてなんとかなる――。
…などと面接担当者を甘くみていると、自分で思う以上にバレているものですよ。